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更新日:2017年3月2日

西郷南洲野屋敷の跡

野屋敷は、西郷隆盛が青年時代(別名:吉兵衛、吉之助)、困窮した家計を助けるために、開墾して里芋や甘藷(サツマイモ)などを植えた農地がまわりにあり、西郷がよく一人で滞留していたところでした。(屋敷といえば広大な邸宅を想像しますが、6畳、3畳、4畳、2畳(いろり部屋)の田の字形の農事小屋でした。)
明治6年遣韓使節派遣がかなえられず、帰郷した西郷隆盛は、武屋敷に住んでいましたが、面会人を避けるため、暫し利用していました。明治10年西郷が「西南の役」に出陣したあと、妻(いと)が11人の家族と生活していた場所でもあります。
この屋敷跡にある山モモや大名竹は西郷が植えたともいわれています。

家計図

(注)太字は、野屋敷に住んでいた人々です。

鹿児島市には、西郷隆盛が住んでいた屋敷として、加治屋町の「生誕の地」、上之園町の「宅地跡」、武町の「武屋敷跡」、そしてここ西別府の「野屋敷跡」などがあります。

加治屋町「誕生の地」跡

上之園町「宅地」跡

武町「武屋敷」跡

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教育委員会事務局教育部生涯学習課

〒890-0054 鹿児島市荒田1-4-1(サンエールかごしま内)

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