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更新日:2015年3月20日

1.空襲等の概況~

本市における戦災の状況~1.空襲等の概況~

「鹿児島市戦災復興誌」より抜粋

昭和20(1945)年3月から本土への空襲は本格化したが、沖縄への米軍上陸以降、次の上陸地点として鹿児島県は終戦まで単なる補給地、背後地、内地ではなくなり「戦場」と化した。

鹿児島市が直接の攻撃目標となったのは、昭和20(1945)年3月18日から8月6日の計8回の空襲であるが、北部九州ほか、九州全域への攻撃のため、鹿児島市は米軍機の通過地点に当たり、機影を見ない日はほとんどないという状況であった。

また、特攻機が鹿児島から飛び立っており、特攻基地は鹿児島にしかなかったので、米軍の鹿児島に対する攻撃は他の地方都市と比較にならない激しさであった。

これら前後8回にわたる空襲によって、市内は焼け野原と化し、鹿児島市が受けた被害は、実に死者3,329人、負傷者4,633人、行方不明35人、その他10万7,388人、合計11万5,385人に達した。

その総数は昭和20(1945)年初期の疎開後の人口17万5,000人に対し66%であった。

建物の罹災戸数は、全焼2万497戸、半焼169戸、全壊655戸、半壊640戸、計2万1,961戸で、全戸数3万8,760戸に対し57%であった。

全市は文字どおり灰燼に帰し、市街地の約93%、327万坪(1,079万平方メートル)を焼失した。

戦災の状況写真

(撮影平岡正三郎氏)

空襲年月日は、いずれも昭和20(1945)年

空襲回数

空襲年月日

時刻

罹災状況

死者

傷者

被爆種別

被災場所

り災人口

り災戸数

1

3月18日

7時50分

郡元町海軍航空隊

 

 

6人

59人

艦載機40機

2

4月8日

10時30分

田上町、下荒田町、平之町、加治屋町、東千石町、西千石町、新照院町

12,372人

2,593戸

587人

424人

大型爆弾250kg約60個

3

4月21日

8時00分

長田町、山下町、東千石町、山之口町、樋之口町、平之町、城山トンネル入り口付近

4,548人

878戸

 

 

B29時限爆弾

4

5月12日

20時00分

港湾地帯

67人

18戸

 

 

不明

5

6月17日

23時05分

市内一円

66,134人

11,649戸

2,316人

3,500人

焼夷弾

6

7月27日

11時50分

鹿児島駅、車町、恵美須町、柳町、和泉屋町

8,905人

1,783戸

420人

650人

ロッキード爆弾

7

7月31日

11時30分

鹿児島駅、清水町、池之上町、上竜尾町、下竜尾町

26,542人

3,251戸

 

 

ロッキード爆弾

8

8月6日

12時30分

上荒田町、原良町、薬師町、伊敷村一帯

6,817人

1,789戸

 

 

不明

115,385人

21,961戸

3,329人

4,633人

 

「本市における戦災の状況~2.戦時中の市民生活の状況~」

お問い合わせ

総務局総務部総務課

〒892-8677 鹿児島市山下町11-1

電話番号:099-216-1125

ファクス:099-224-8900

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