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更新日:2024年1月4日

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1.空襲等の概況~

本市における戦災の状況~1.空襲等の概況~

「鹿児島市戦災復興誌」より抜粋

昭和20(1945)年3月から本土への空襲は本格化したが、沖縄への米軍上陸以降、次の上陸地点として鹿児島県は終戦まで単なる補給地、背後地、内地ではなくなり「戦場」と化した。

鹿児島市が直接の攻撃目標となったのは、昭和20(1945)年3月18日から8月6日の計8回の空襲であるが、北部九州ほか、九州全域への攻撃のため、鹿児島市は米軍機の通過地点に当たり、機影を見ない日はほとんどないという状況であった。

これら前後8回にわたる空襲によって、市内は焼け野原と化し、鹿児島市が受けた被害は、実に死者3,329人、負傷者4,633人、行方不明35人、その他10万7,388人、合計11万5,385人に達した。

その総数は昭和20(1945)年初期の疎開後の人口17万5,000人に対し66%であった。

建物の罹災戸数は、全焼2万497戸、半焼169戸、全壊655戸、半壊640戸、計2万1,961戸で、全戸数3万8,760戸に対し57%であった。

全市は文字どおり灰燼に帰し、市街地の約93%、327万坪(1,079万平方メートル)を焼失した。

戦災の状況写真

(撮影平岡正三郎氏)

空襲年月日は、いずれも昭和20(1945)年

空襲回数

空襲年月日

時刻

罹災状況

死者

傷者

被爆種別

被災場所

り災人口

り災戸数

1

3月18日

7時50分

郡元町海軍航空隊

 

 

6人

59人

艦載機40機

2

4月8日

10時30分

田上町、下荒田町、平之町、加治屋町、東千石町、西千石町、新照院町

12,372人

2,593戸

587人

424人

大型爆弾250kg約60個

3

4月21日

8時00分

長田町、山下町、東千石町、山之口町、樋之口町、平之町、城山トンネル入り口付近

4,548人

878戸

 

 

B29時限爆弾

4

5月12日

20時00分

港湾地帯

67人

18戸

 

 

不明

5

6月17日

23時05分

市内一円

66,134人

11,649戸

2,316人

3,500人

焼夷弾

6

7月27日

11時50分

鹿児島駅、車町、恵美須町、柳町、和泉屋町

8,905人

1,783戸

420人

650人

ロッキード爆弾

7

7月31日

11時30分

鹿児島駅、清水町、池之上町、上竜尾町、下竜尾町

26,542人

3,251戸

 

 

ロッキード爆弾

8

8月6日

12時30分

上荒田町、原良町、薬師町、伊敷村一帯

6,817人

1,789戸

 

 

不明

115,385人

21,961戸

3,329人

4,633人

 

「本市における戦災の状況~2.戦時中の市民生活の状況~」

お問い合わせ

総務局総務部総務課

〒892-8677 鹿児島市山下町11-1

電話番号:099-216-1125

ファクス:099-224-8900

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