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更新日:2020年3月9日
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災害に関する画像を紹介します。防災啓発等にご活用ください。
平成5年8月6日、鹿児島市は、記録的な集中豪雨に見舞われ、土砂崩れなどによる死者・行方不明者47名を含む約100名の人的被害をはじめ、10,000戸を超える家屋が被害を受けました。道路の寸断、水道の断水等で、市民生活は大きな打撃を受けるとともに、長年親しまれてきた石橋を流失するなど市民にとって忘れることのできない災害となりました。
平成9年7月10日の未明に、出水市針原地区において大規模な土石流が発生し、21名の人命が奪われ、負傷者13名、家屋等の流失・全壊約30棟という惨事となりました。ほぼ完成していた砂防ダムを乗り越えた土石流の威力と、雨がやんでいても土石流は発生するという事実を思い知る結果となりました。
桜島は、約13,000年前に生成されたと推定されている、いわば若い火山です。
桜島火山は、約22,000年前の激しい火山活動によって形成された姶良カルデラの南端に位置し、北岳、中岳及び南岳の中央火口群と、いくつかの寄生火山からできています。活動の特徴は溶岩流出を伴う山腹噴火と降灰をもたらす山頂噴火の繰り返しといえます。
溶岩、軽石の噴出を伴う山腹噴火(南岳頂上を中心とした点対照的な中腹位置に4つの割れ目火口を生じた)となり、海底噴火時に12m~14mの津波が発生しました。また、燃島(新島)以下、安永諸島を生成しました。県下各地に避難し、故郷桜島の見える場所にそのまま移住した人々も多数いました。
降灰は約20年間続き、農作物に大きな被害がありました。当時の様子を示す絵図や記録が多数残されています。
安永年間大噴火櫻島東方面(鹿児島県立図書館所蔵)(JPG:24KB)
大正3年1月12日に、桜島は歴史的な大噴火を起こしました。この噴火で溶岩が大量に流れ出し、当時の瀬戸海峡を埋めて大隅半島と桜島は陸続きになりました。
噴火直後にはマグニチュード7.1の大地震が発生し大きな被害が出ました。この噴火を教訓に毎年1月12日の近日に総合防災訓練を実施し、大爆発に備えています。
大正3年の桜島大爆発~噴火開始後25分の噴煙~(JPG:21KB)
(鹿児島県立博物館所蔵)
(鹿児島県立博物館提供)
終戦直後(1946年)の社会的混乱の中で起こった昭和噴火は、大正噴火と比べると比較的規模の小さいものでしたが、この噴火で流出した溶岩により、黒神・有村が埋没し、大量の火山灰や降下軽石で大きな被害が出ました。
(南日本新聞社提供)
1955年(昭和30年)10月13日南岳山頂で突然爆発。以後南岳の山頂からの噴火活動が活発となりました。
2006年(平成18年)6月4日昭和火口から58年ぶりに新たな噴火が発生。
その後、爆発を伴う火山活動と噴煙活動を繰り返し、大量の噴石と火山灰を山頂火口から噴出する活動を現在まで続けています。
現在では、南岳山頂火口及び昭和火口から2km以内は立ち入り禁止及び登山禁止となっています。
火口の様子(京都大学桜島火山研究所提供)(JPG:15KB)
南岳の噴火の様子(京都大学桜島火山研究所提供)(JPG:16KB)
平成7年1月17日の早朝、淡路島付近を震源とするマグニチュード7.2の直下型地震が、阪神地方を襲い、家や高速道路、ビルまでもが倒壊しました。
水道などのライフラインも寸断したため、多発する火災の消火活動や救助活動は難しく約6,400名を超す犠牲者を出す戦後最大の惨事になりました。
都市部における災害の恐ろしさを痛感するとともに、さまざまな課題と教訓を残しました。
鹿児島県北西部では平成9年3月26日に震度5強、5月13日には、震度6弱の地震に襲われました。
この2つの地震では、幸い死者はでなかったものの、約80名が重軽傷を負い、宮之城高校の校舎が損壊するなど、住宅被害が相次ぎ、余震も続いたため、住民生活に大きな不安を与えました。
火災は、コンロやたばこ、また、放火や火遊び等いろんなことが原因で発生します。
鹿児島市では、昭和49年代にはこの火災原因のなかで「たばこ」が1位を占めていましたが、昭和50年代になってからは「コンロ」がトップになっており、その中でも「食用油の過熱着火」いわゆる「天ぷら油火災」が非常に多くなってきています。
火災は、ちょっとした油断から発生します。火を取り扱っている時には、その場所を離れないように。
また、離れる場合は、必ず火を消すようにしましょう。
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