更新日:2020年7月13日
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鹿児島市は、先の大戦において8回におよぶ空襲を受け、市街地の93パーセントを焼失し、多くの尊い人命と財産を失いました。
戦後、先人たちは、焦土の中から立ち上がり、幾多の困難を乗り越え、本市の発展のために一歩一歩努力してこられました。そして、本市は、平成2年に戦争による惨禍を二度と繰り返さないことを誓うとともに、あらゆる国の核兵器の全面廃絶と世界の恒久平和の達成を願い、平和都市宣言を行いました。
現在、国民の多くが戦争を知らない世代となり、戦争の記憶は薄れつつあると言われていますが、再び戦争による惨禍を繰り返すことがないよう、平和の尊さや戦争の悲惨さを次の世代に語り継ぐことは、今を生きる私たちに課せられた大きな責務です。
今年は、戦後75年、平和都市宣言から30周年という節目の年を迎えます。この機会に戦災当時の写真を多くの皆様にご覧いただき、平和の尊さと戦争の悲惨さについて、改めて考え、そして話し合う一助としていただければ幸いです。
(注意)写真・映像の無断転載を禁じます。
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撮影平岡正三郎氏
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昭和21年ごろ
昭和28年ごろ
現在
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昭和25年ごろ
昭和26年ごろ
現在
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昭和26年ごろ
昭和28年ごろ
現在
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昭和館所蔵資料(東京都)
(注意)無音声です。
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