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ホーム > 健康・福祉 > 地域福祉 > その他地域福祉関連情報 > 令和8年度鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式

更新日:2026年10月22日

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令和8年度鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式

本市では、本市出身戦没者及び一般戦災死没者をはじめ、敵味方区別なく戦争で亡くなられた方の霊を慰め、遺族のこれまでの心労を労うとともに、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継ぎ、世界における恒久平和を祈念するため、鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式を開催しました。

令和8年度から、これまでそれぞれ開催してきた以下の式典を統合して開催しました。
・第二次世界大戦戦亡者慰霊祭(例年8月15日)
・鹿児島市戦没者追悼式(例年10月)

日時

令和8年10月13日(火曜日)午後2時00分から午後3時00分

場所

鹿児島市中央公民館(鹿児島市山下町5-9)

次第

1.開式のことば
2.一同拝礼
3.国歌斉唱
4.黙とう
5.追悼のことば
6.献花
7.式電披露
8.一同拝礼
9.閉式のことば

黙とう

本市出身戦没者及び一般戦災死没者をはじめ、敵味方区別なく戦争で亡くなられた方の安らかなご冥福をお祈りして、黙とうを捧げました。

追悼のことば

市長、市議会議長、遺族代表、小学生代表、中学生代表により追悼のことばが捧げられました。

 

鹿児島市長下鶴隆央(しもづるたかお)

世界中で数千万人にも及ぶ尊い人命が失われた第二次世界大戦の終戦から、81年の歳月が過ぎ去りました。
本日、鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式を厳かに執り行うにあたり、本市出身戦没者10,663柱及び一般戦災死没者をはじめ、敵味方の区別なく戦没者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。

この場に立ち、先の大戦において、祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら国難に殉じられた方々や、戦乱の渦に巻き込まれて犠牲となられた方々のご無念を思うと、深い悲しみが胸にこみ上げてまいります。

私どもの郷土・鹿児島市も、昭和20年6月17日の大空襲をはじめ、度重なる空襲により多くの市民がお亡くなりになるという筆舌に尽くし難い悲惨な体験をしました。
こうした想像を絶する戦禍の中、愛する家族や友人を失い、明日への希望さえ見出し難い深い悲しみや苦しみを抱えながらも、お互いに支え合い、幾多の困難を乗り越えてこられたご遺族や関係の皆様方に深く敬意を表するものであります。

戦後、わが国は一貫して平和国家としての歩みを続け、目覚ましい経済発展を成し遂げました。本市におきましても、ご遺族をはじめ市民の皆様の英知と弛まぬご努力により見事に復興を果たし、世界に誇りうる自然・歴史・文化を礎に、多様な都市機能が集積し、活力を創出する中枢中核都市として着実な発展を続けています。
私たちが今、享受する平和や豊かさは、先人たちの尊い犠牲の上に築かれたものであることを決して忘れてはなりません。

一方、国際社会に目を向けますと、ウクライナや中東地域をはじめとする世界各地で戦争や紛争が相次ぎ、今なお多くの尊い命が失われています。世界から戦火が絶えることのない現実に、平和の尊さとその脆さを改めて痛感するとともに、世界中の人々に一日も早く平穏な日々が訪れ、恒久平和が実現することを念願してやみません。

本市におきましては、昭和28年、「第二次世界大戦敵味方戦亡者慰霊碑」を建立し、以来、8月15日に「第二次世界大戦戦亡者慰霊祭」を、また、昭和39年からは10月に「戦没者追悼式」を執り行い、戦没者の御霊の慰霊と平和への祈りを継承してまいりました。

そのような中、昨年、戦後80年の節目を迎えましたが、戦後生まれの世代が人口の9割を占め、戦争の記憶の風化が強く懸念されたことから、ご遺族の皆様の思いも伺った上で、次世代への継承を主眼に持続可能なものとするため、両式典を統合し新たに「戦没者追悼・平和祈念式」として本日開催したところです。

本日は、未来を担う児童・生徒とその保護者の皆様に多数参列いただいております。本日の式典が、児童・生徒の皆さんにとって、戦争の悲惨さや平和の尊さを心に刻み、家族や友人と平和について語り合い、考える契機となることを願っております。
本市といたしましても、今後とも、市民一人ひとりに平和を尊ぶ心が育まれ、次世代に継承されるよう、不断の努力を続けていくことをここに固くお誓い申し上げます。

結びに、戦没者の御霊のご冥福と、ご遺族の皆様方のご健勝、ご多幸、郷土の限りない発展を祈念して、追悼のことばといたします。

令和8年10月13日鹿児島市長下鶴隆央

 


鹿児島市議会議長古江尚子(ふるえなおこ)様

本日ここに、ご遺族並びに関係の皆様方多数ご参列のもと、鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式が厳かに執り行われるにあたり、鹿児島市議会を代表いたしまして、戦没者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。

先の大戦において、祖国やふるさとを思いながら尊い命を捧げられた多くの方々に思いを致すとき、万感胸に迫るものがあります。
また、ご遺族並びに関係の皆様方が、長きにわたり戦没者の慰霊と平和への願いを大切に受け継いでこられたことに対し、深く敬意を表します。

戦後、我が国は幾多の困難を乗り越えながら力強い復興を遂げ、今日まで平和国家としての歩みを重ねてまいりました。私たちの郷土鹿児島市におきましても、多くの先人たちのたゆまぬ努力により、戦災から復興を果たし、南九州の中核都市として着実な発展を続けております。

しかしながら、戦後81年を迎えた今日、戦争を直接体験された方々は年々少なくなり、戦争の悲惨さや平和の尊さを次の世代へ語り継ぐことは、かつてなく重要な課題となっております。
さらに、世界各地では今なお戦争や対立が絶えることなく、平和が決して当たり前のものではない現実を私たちは目の当たりにしております。だからこそ、戦争の歴史と教訓に真摯に向き合い、その記憶を風化させることなく、恒久平和への誓いを新たにしなければなりません。

本日、参列されている未来を担う若い世代の皆さんには、先人たちが守り築いてこられた平和の尊さを心に深く刻み、その思いと教訓をしっかりと受け継ぎ、次の時代へつないでいただきたいと切に願います。

私たちは今、戦争を知らない世代が大半を占める時代を迎えております。現在の平和と繁栄が、戦没者をはじめ多くの方々の尊い犠牲と不断の努力の上に築かれていることを決して忘れてはなりません。その記憶と教訓を後世へ語り継ぎ、平和で希望に満ちた社会を築いていくことが、今を生きる私たちに課せられた使命であります。

本日の式典にあたり、私たち一人ひとりが、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて胸に刻み、二度と戦争の惨禍を繰り返さないとの決意を新たにするとともに、恒久平和の実現に向けて歩み続けることを、ここに固くお誓い申し上げます。

鹿児島市議会といたしましても、市民の代表としてその責務を深く自覚し、市民福祉の向上と郷土のさらなる発展に努めるとともに、戦争の記憶と教訓を後世へ伝え、恒久平和の実現に向けて不断の努力を重ねてまいる所存であります。

結びに、尊い命を捧げられました戦没者の御霊の永久に安らかならんことを心からお祈り申し上げますとともに、ご遺族並びにご参列の皆様方のご健勝とご多幸を祈念申し上げまして、追悼のことばといたします。

令和8年10月13日鹿児島市議会議長古江尚子

 

遺族代表鹿児島市喜入地区遺族会会長松原勝義(まつばらかつよし)様

本日ここに、鹿児島市主催による令和8年度鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式が厳粛に執り行われるにあたり、戦没者遺族を代表いたしまして、謹んで追悼のことばを申し上げます。

先の大戦から81年が経過しました。祖国を思い、家族を案じながら戦場に赴き、尊い命を捧げられた御霊に対し、深く哀悼の意を表します。私たちは、尊い犠牲の上に、今日の平和と繁栄を享受していることを決して忘れることなく、心から感謝の念を捧げます。

私自身も、戦争によって父を失った遺族の一人であります。
私の父は、昭和18年、東京都小笠原村硫黄島に赴き、米軍との生死をかけた激しい戦闘の中で、昭和20年3月、わずか27歳という若さで戦死いたしました。
父が戦地でどのような思いを抱き、何を願いながら最後の時を迎えたのか、その胸中を知るすべはありません。

戦後、父の遺骨として届けられたのは、紙切れ一枚の入った遺骨箱でした。
母は、その遺骨箱を前に、涙を浮かべながら父のことを話してくれました。
幼かった私の心に刻まれた母の姿は、長い歳月を経た今も、決して消えることはありません。

父の戦死後、私たちは母の実家で暮らしました。学校から帰ると、田畑で祖父母の手伝い、牛や馬のえさとなる草刈りをし、夕方になると天秤棒を担いで近くの湧き水から生活用の水をくんでくるのが日課でした。戦争は、残された家族の生活を変え、子どもたちの将来を奪い、そして、長い年月を経てもなお、忘れることのない悲しみを人々の心に残します。

いまだ、世界各地で戦争の犠牲となっている人々がいるという現実に心を痛めます。報道を見るたびに、戦争が遠い過去の出来事ではなく、今もなお続く苦しみであることを痛感いたします。子どもたちが親を失い、家族が引き裂かれ、平穏な暮らしが一瞬で奪われる現実は、私が経験した戦争の記憶とも重なり、胸が痛みます。

戦後生まれの世代が国民の大半を占め、戦争を直接知る方々が少なくなる今、戦争の悲惨さと平和の尊さを次の世代へ語り継いでいくことは、私たち遺族の使命であります。戦争の記憶を風化させることなく、二度と同じ過ちを繰り返さないとの思いを次の世代に伝え続けてまいります。

結びに、本日このような厳粛な戦没者追悼・平和祈念式を挙行していただきました関係者の皆様に対し、心より敬意と感謝を申し上げるとともに、ご遺族ならびにご出席の皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。そして、世界の恒久平和を心から祈念いたしまして、追悼のことばといたします。

令和8年10月13日鹿児島市喜入地区遺族会代表松原勝義

 

小学生代表吉田小学校6年山下心大朗(やましたこたろう)さん

本日、ぼくは、この場に立ち、戦争で亡くなられた方々に思いをはせます。
今年は、戦後81年の年です。
ぼくは、学校の平和学習で、鹿児島市が8回の大きな空襲を受け、数えきれないほどの爆弾が降り、多くの命が失われたことを知りました。

戦争について、平和について興味をもったぼくは、知覧特攻平和会館を訪れました。
戦火の中でも家族や婚約者、日本国のことを思い、大切な人に元気でいてほしいと願っていた特攻隊の人たちの思いを痛いほど感じることができました。
人が人を思う気持ちは、今も昔も何も変わっていないのに、戦争で多くの命が消え、多くの人が悲しい思いをしたことにいたたまれない気持ちになりました。

ぼくが住む吉田地域にも、戦争の記憶が刻まれています。それは、ぼくの父や祖父が通っていた旧吉田小学校の跡地にある「疎開の碑」です。戦争の激しさが増す昭和20年。南種子町の島間国民学校の児童たちがこの吉田に疎開してきたのです。
今のぼくたちが平和に暮らすこの地域にも戦争を感じることができます。とても身近にあったのだということに驚きました。

戦争を体験した人が少なくなってきている今、戦争が現実に起こったことだと実感することは簡単なことではないと感じます。今、ぼくたちが当たり前のように学校に通えること、友達と笑い合いながら学びそして遊ぶこと、家族と楽しく過ごせる日々は当たり前ではないということです。
この日々の平和な生活は、戦争によって多くの尊いものを失いながらも必死でつないできてくれた方々がいたからこそだということを忘れてはなりません。
だからこそ、ぼくはこれからも平和について学び、考え続けることが大切だと思います。

ここで、ぼくの名前を紹介します。ぼくは、心、大きい、朗らかと書いて「こたろう」と言います。両親が「心が大きく朗らかに育ちますように」と願いを込めてつけてくれました。平和を考えるとき、ぼくは、ぼくの名前のように心を大きく朗らかにし、その気持ちをぼくの大事な家族や仲間に伝え、広げていくことが大切なのではないかと思います。
一人の力は小さいかもしれませんが、たくさんの人が平和について考え、心が朗らかであることで、人と人が認め合い、平和が続いていくのではないかと考えます。

ぼくたちはこの何気ない日々の生活のなかで、いそがしさからついつい平和であることがどれだけすごいことなのかを忘れてしまうことがあります。ぼくにとって、ぼくたちにとって平和とは何か、ということを一生けん命考え続けることこそが平和を守っていくこと、平和が守られていくことになるのではないかと思います。

最後になりましたが、戦ぼつ者のみな様のごめい福を心からお祈りするとともに、ぼくは、ぼくの名前にあるように「心を大きく朗らかに」と心にちかい、日々平和について考え、そして、身近な人たちを大切にし、思いやりの心をもって過ごしていきます。

令和8年10月13日鹿児島市立吉田小学校6年山下心大朗

 

中学生代表吉田北中学校3年松山初花(まつやまいちか)さん

令和8年度鹿児島市戦没者追悼・平和祈念式の開催にあたり、追悼のことばを申し上げます。
太平洋戦争が終わってから80年以上の月日が流れました。かつてこの地で、そして遠く離れた戦場で、多くの人々が激しい空襲や戦禍に巻き込まれ、未来ある尊い命を失いました。愛する家族を思い、平和な明日を願いながら亡くなった方々の無念と苦しみに思いを馳せるとき、胸が締め付けられる思いがします。

私たち中学生をはじめ、今を生きる多くの人は、戦争の悲惨さを直接知りません。教科書を開き、白黒の写真を見たり、修学旅行で語り部の方のお話を聞いたりすることでしか、当時の現実を知ることができない「戦争を知らない世代」です。
しかし、体験していないからといって、無関心でいてよい理由にはなりません。私の祖母は小学生の頃、鹿児島大空襲を経験しました。もしあの時、祖母が生き延びることができなければ、父も生まれず、今の私も存在していませんでした。

今こうして命があることは当たり前ではなく、奇跡の上に成り立っているのだと痛感します。その一方で、祖母は80年以上が経った今でも、当時の恐ろしい記憶や辛い体験について、自ら多くを語ろうとはしません。触れられたくないほど深い傷痕が、心に残り続けているのだと感じます。
今もなお、世界では紛争が絶えず、日常が突然奪われる現実が存在しています。その現実から目を背けることなく、過去の戦争の歴史や世界の状況を知ることが大切だと思います。

現在私たちは、スマートフォンや生成AIといった便利な技術が当たり前にある時代を生きています。必要な情報や答えは画面の向こうからすぐに手に入り、AIが私たちの代わりに文章を作り、意見を提示してくれるようにもなりました。
だからこそ問われているのは、「私たち自身が何を考え、どう行動するか」ということです。流れてくる情報や提示された答えをそのまま鵜呑みにするのではなく、何が正しいのか、命や平和を守るために何が必要なのかを、他人に判断を委ねてしまうことが、知らず知らずのうちに社会を誤った方向へ導く可能性があります。

だからこそ、自らの頭で深く考え、自分自身の意思で選択していかなければなりません。そして、自分の頭で深く考えるためには、その土台となる知識や多様な視点が必要です。それは、日々の学校で重ねる学びや、読書を通して出合う先人たちの言葉、そして人と関わり、自分の目で確かめる実体験のなかで構築されます。知識を深め、体験を通して命の温もりや痛みを肌で知ること。そうした確かな土台があるからこそ、私たちは社会の波に流されず、自分の考えを持つことができます。

戦争の苦しみを知る世代が減っていくこれからの時代、今を生きる私たちが「今を戦前にしない」という強い決意を持つことが求められています。便利なツールを賢く使いこなしつつも、自分の心で感じ、自分の頭で選択する強さを持ち続けること。そして、命の重みと平和の尊さを次の世代へと語り継いでいくこと。それらこそが、命を落とされた戦没者の方々に対して、私たちが果たすべき責任であると考えます。

結びになりますが、戦争により亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、戦争の歴史を忘れず、平和な未来を創っていくことをここに誓い、追悼の言葉といたします。

令和8年10月13日鹿児島市立吉田北中学校3年松山初花

献花

参列者から8名が代表献花を行いました。

鹿児島市長下鶴隆央(しもづるたかお)

鹿児島市議会議長古江尚子(ふるえなおこ)様

遺族代表鹿児島市喜入地区遺族会会長松原勝義(まつばらかつよし)様

鹿児島県知事代理保健福祉部次長益山純徳(ますやますみのり)様

鹿児島県遺族連合会会長代理副会長浜崎和則(はまさきかずのり)様

小学生代表吉野東小学校6年石原希理(いしはらきらり)さん

中学生代表西紫原中学校3年竹端遼(たけはなりょう)さん

高校生代表鹿児島女子高等学校3年中川路万緑(なかかわじまみ)さん

 

代表献花に引き続き、参列者全員が献花を行いました。

リーフレット

式典当日に参列者に配布したリーフレットを掲載します。

PDF版リーフレット(PDF:1,913KB)

 

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健康福祉局健康福祉推進部地域福祉課 地域福祉係

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