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更新日:2026年7月1日

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「町田久成(まちだひさなり)」を知っていますか?

明治維新で西洋化が進む日本において、日本古来の文化を守った英雄の一人です。

町田久成がいなければ、多くの文化財が破壊され、貴重な資料が消失していたかもしれません。

町田久成とは

石谷を治めていた町田家の長男として生まれ、慶応元(1865)年に薩摩藩英国留学生を率いて英国へ渡りました。帰国後、廃仏毀釈の嵐で文化財破壊が広がる風潮を憂い、文化財保護の重要性と博物館の建設を建議し、東京国立博物館の初代館長に就任しました。

鹿児島中央駅東口の銅像「若き薩摩の群像」

薩摩藩英国留学生である19体の銅像からなり、その一番上に飾られている2人のうちの1人が、「町田久成」です。

若き薩摩の群像

町田久成の経歴

文化財保護に尽力した生涯

  • 1865年:薩摩藩英国留学生を率いて渡英。西洋文明や技術に触れ、深い感銘を受ける。
  • 1867年:帰国。国内では廃仏毀釈の風潮により寺院や仏像が破壊され、さらに日本古来の文化財が安価で海外へ流出していた。その状況に心を痛めた久成は、私財を投じて文化財を買い求めるとともに、修復技術者の養成機関を設立するなど、文化財保護に尽力した。
  • 1870年:大学大丞に就任。博物館建設に向けて精力的に活動する。
  • 1871年:文部大丞に就任。「大学南校物産会」を開催し、天皇・皇后両陛下のご観覧を得たことが、博物館建設への大きな後押しとなる。
  • 1872年:文部省博物館の名のもと、湯島聖堂において博覧会(湯島聖堂博覧会)を開催。同年、東海・近畿地方の文化財調査(壬申検査)にも従事。
  • 1873年:「博物館設置の建白書」を提出し、博物館の必要性を強く訴える。
  • 1875年:内務大書記官に昇任。同時に初代博物局長(博物館長)に任命される。
  • 1882年:博物館が上野へ移転。自身が収集した文化財をすべて寄贈し、同年、突然辞職して仏門に入る。
  • 1897年:古社寺保存法が制定。その成立を見届けるかのように、同年9月15日、60歳で生涯を閉じる。

久成の死後

久成の死後、東京国立博物館の構内には、高さ約4メートルの大顕彰碑が建立されました。碑文には「博物館は君が提議し創設する所なり」との撰文が刻まれ、あわせて久成の心境をしのぶ漢詩も彫られています。
また、2016年11月14日には、東京国立博物館の中庭に久成の胸像が設置され、除幕されました。台座正面に刻まれた碑銘「初代町田久成館長像」は、安倍晋三元内閣総理大臣が自ら筆を執って書いたものです。

石谷夢プロジェクト

2023年、石谷校区まちづくり協議会が、「石谷夢プロジェクト」を立ち上げ、町田久成を起爆剤として地域の活性化を図る取組を進めています。

松元支所ではこの取組を支援するとともに、地域の魅力創出を図り、地域内外への情報発信を行っています。

石谷校区まちづくり協議会が運営するサイトは、以下のとおりです。

石谷夢プロジェクトnote(外部サイトへリンク)

石谷校区まちづくり協議会インスタグラム(外部サイトへリンク)

オリジナルキャラクター「まっちー君」

石谷校区まちづくり協議会は、鹿児島県立松陽高等学校美術科の生徒さんと協働し、町田久成のオリジナルキャラクターを制作しました。キャラクター名の「まっちー君」は、石谷小学校5年生の発案によるものです。

町田久成オリジナルキャラクターのまっちー君

町田久成講演会

過去に行った町田久成講演会は以下のとおりです。

 

よくある質問

お問い合わせ

市民局松元支所総務市民課

〒899-2792 鹿児島市上谷口町2883

電話番号:099-278-2111

ファクス:099-278-4097

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