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ホーム > 暮らし > 平和 > 催し、展示会等 > 第二次世界大戦戦亡者慰霊祭「慰霊のことば」・リーフレット

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更新日:2021年8月27日

第二次世界大戦戦亡者慰霊祭「慰霊のことば」・リーフレット

令和3年第二次世界大戦戦亡者慰霊祭につきましては、本市における新型コロナウイルス感染症の感染状況並びに県内の感染拡大の警戒基準がステージⅣに引き上げられ、県独自の緊急事態宣言が発令されたことを踏まえ、中止となりました。

ここでは、本慰霊祭で捧げられる予定であった「慰霊のことば」及び、配布予定であったリーフレットを紹介します。

第二次世界大戦戦亡者慰霊祭の概要(令和2年の開催の様子)

市長慰霊のことば

 

界中で多くの尊い人命が失われた第二次世界大戦の終戦から、76年の歳月が過ぎ去りました。終戦の日を迎え、今年もここ探勝園において、第二次世界大戦戦亡者慰霊祭を執り行うにあたり、戦亡者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。

の大戦においては、将来ある若者が、最愛の家族の幸せ、祖国の安寧を願いながら犠牲となり、また、各地における空襲や広島・長崎への原子爆弾の投下、沖縄での地上戦により、多くの尊い命が奪われ、国土はまさに焦土と化しました。
どもの郷土、鹿児島市も大戦末期の昭和20年、市街地のおよそ9割が焼失する激しい空襲を受け、多くの市民の皆様がお亡くなりになるという、筆舌につくしがたい悲惨な体験をしました。
こうした想像を絶する状況の中、かけがえのない家族や友人を失った深い悲しみに耐え、幾多の苦難を乗り越えてこられたご遺族や関係の皆様方に、改めて、深く敬意を表する次第であります。

後、わが国は一貫して平和国家としての歩みを続け、世界に類を見ない経済発展を成し遂げ、国際社会において重要な役割を担うまでになりました。
本市におきましても、ご遺族をはじめ、市民の皆様の弛まぬご努力により見事に復興を遂げ、今では、市民が健やかに暮らし、多彩で豊かな地域資源に恵まれ、多様な都市機能が集積した中枢中核都市として着実な発展を遂げる中で、「人もまちも躍動する鹿児島市」の創造に向けた挑戦を続けております。

方、国際社会に目を向けますと、今なお、大量破壊兵器やテロなど、武力を背景にした国家間や地域間の対立が繰り返され、世界の恒久平和を追求し続けることの大切さを痛感いたしております。
また、新型コロナウイルス感染症という人類共通の新たな試練に直面しております。

れらの困難を乗り越えていくためには、世界中の人々がこれまで以上に協調・連携していくことが肝要であり、過去の過ちを省みて、平和な世界を作り上げることを誓った先人たちの歩みこそが、その道標になるものと存じます。

市におきましては、平成2年に、再び戦争による惨禍を繰り返さないことを誓い、核兵器の全面廃絶等を希求する「平和都市宣言」を行い、その一環として、市内各地での「鹿児島市の戦災と復興資料・写真展」や「原爆パネル展」を開催しているほか、市民の方から寄贈いただいた戦時中の資料の小中学校への貸出等を通して、平和の尊さや戦争の悲惨さ、復興への努力を後世に伝える取組を続けております。

戦から4分の3世紀が経過し、私も含め戦後生まれの世代が総人口の8割以上を占める今、戦争という悲惨な歴史の教訓を次の世代に語り継いでいくことが、ますます重要になってきております。

たちは、本慰霊祭にあたり、改めて、戦争という悲惨な歴史の教訓を深く胸に刻み、この慰霊碑に込められた思いを次の世代へ語り継ぐとともに、「世界の恒久平和」の達成を願い、新たな時代を切り拓くために不断の努力を続けていくことを固くお誓い申し上げます。

びに、戦亡者の御霊のご冥福と、ご遺族をはじめ、本日ご列席の皆様方のご健勝とご多幸、郷土の限りない発展を祈念いたしまして、慰霊のことばといたします。

令和3年8月15日 鹿児島市長 下鶴 隆央

 

議長慰霊のことば

 

日ここに、ご遺族並びに関係の皆様ご参列のもと、第二次世界大戦戦亡者慰霊祭が厳かに執り行われるにあたり、鹿児島市議会を代表して、戦亡者の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。

二次世界大戦という、苛烈を極めた戦いの中で、戦禍の犠牲となり、数多くの尊い命と貴重な財産が失われました。終戦から長い歳月を経た今もなお、先人たちの犠牲の重さは、私たちの心の碑に強く刻み込まれております。

愛の家族のため、また愛する祖国のために散って行かれた先人たちの命の重さを想うとき、万感胸に迫るものがあります。また同時に、幾多の苦難を乗り越えてこられたご遺族の皆様のご労苦に、深甚なる敬意を表する次第であります。

が国が終戦を迎えてから、76年の時が流れました。戦後に生まれ、現代を生きる私たちは、あの壮絶な戦争を様々な記録を通して知ることができますが、実際に起きた悲惨な出来事であるにも関わらず、ともすれば、単に歴史的事実としての理解だけに留まってしまいがちであります。

争を体験した世代が徐々に減ってきた現在、私たちが享受している平和と豊かさは、戦渦に倒れた多くの方々の尊い犠牲の上に築かれたものであることを改めて強く認識し、風化させることのないよう、世代を超えて語り継いでいく必要があります。

が国は、戦後の復興から高度経済成長を経て、今日まで世界に誇る目覚ましい発展を遂げてまいりました。その間、時代は、戦争を経験した「昭和」から、戦争を経験しなかった「平成」、そして現在、新たに「令和」という時代へと移り変わり、平和国家としての確かな歩みを進めてきております。

たちの住む郷土鹿児島市も、ご遺族をはじめ多くの先人たちの懸命なご尽力により、激しい空襲で焦土と化した街から復興を成し遂げ、南九州の中核都市として着実な発展を遂げてまいりました。私たちは、この平和で豊かな愛すべき郷土を、皆さまと共に、100年、200年先の未来へと確実に引き継いでいかなくてはなりません。

日、終戦の日を迎えるにあたり、私たち一人ひとりが、戦争の悲惨さと平和の尊さを改めて深く見つめ、郷土鹿児島市や愛する日本の限りない発展はもとより、世界恒久平和の実現を目指して、これからも不断の努力を続けていくことを堅くお誓い申し上げます。

びに、尊い命を捧げられました御霊の永久の安らぎと、ご遺族並びにご参列の皆様方のご健勝、ご多幸を心からお祈り申し上げまして、慰霊のことばといたします。

令和3年8月15日 鹿児島市議会議長 川越 桂路

 

児童代表慰霊のことば

 

児童代表慰霊のことば

 

日、17日間開催された東京オリンピックが幕を閉じました。オリンピックでは、笑顔、拍手、声援が絶えずあふれていました。国を超えて、メダルに向かって競技をする選手たちの一生懸命な姿と競技を終えた後の晴れやかな表情が印象的でした。
1945年の今日、もう一つ幕を閉じた大切な出来事がありました。戦争です。この言葉を聞くと、戦争体験者である曾祖父母の話を思い出します。
隊の手当てを任務とする衛生兵だった曾祖父。薬をいっぱいに担いで戦争に参加しました。たくさんの仲間が命を落としていったそうです。空襲を経験した曾祖母。空から襲ってくる爆弾から町の人たち全員で必死に逃げました。ようやく逃げ切り、助かったことを喜び合おうと、近くにいた人に話し掛けると、その人はその場でこと切れていたそうです。大きく変わり果ててしまった町並み。悲しみを背負いながらの再出発。そんな厳しい時代を曾祖父母は懸命に生きたそうです。
きたくても生きられない方々もいらっしゃいました。特攻隊の方々です。特攻隊の方々は、愛する家族に手紙を残して、命を落としていかれました。「お体を大切に。さようなら。」最後にこう書かれた家族への手紙を特攻隊の方々は、どのような思いで書かれたのでしょうか。本当は行きたくないけれど、我慢していたのかもしれません。でも、自分が命を落とすことが家族の命や国を守ることになると考えたのかも知れません。僕自身と年齢が近い隊員の方々の思いを想像しましたが、僕には、十分に分かることができませんでした。ただ、とても胸が痛みました。
が命を落とす。そんな悲惨な戦争は絶対にしてはいけない。僕はそう思いました。同時に、生き残ってくれた曾祖父母からつないできた命のリレーをこれからもつなぎ続けていきたいと思いました。
和の祭典である東京オリンピックの閉会式では、各国の選手たちが一緒に歌ったり踊ったりしていました。その様子が僕には、命をつなぎ続けることができたことを喜び合い、たたえ合う姿に見えました。これから先も、このような平和な世の中を僕は強く望みます。僕たち一人一人が常に平和を意識して、命をつなぎ続けていくことを大切にしていきたいと思います。
後に、戦争で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りして、慰霊のことばといたします。

令和3年8月15日 鹿児島市立山下小学校6年 黒﨑 慶志

 

生徒代表慰霊のことば

 

生徒代表慰霊のことば

 

和3年第二次世界大戦戦亡者慰霊祭の開催にあたり、慰霊の言葉を申し上げます。
から76年前の今日、日本全国に玉音放送が流され、終戦の日を迎えました。この戦争での日本人犠牲者は310万人。あまりに膨大なその数は、現実のこととして想像するのが難しいほどです。終戦の2カ月前には、私たちの郷土鹿児島市も大空襲を受け、あたり一面が火の海と化しました。私たちが暮らす、この緑豊かで美しい鹿児島の町が、かつて焼け野原となり、人々の悲鳴が鳴り響いていたことは、考えれば考えるほど、強い悲しみがこみあげてきます。
前私は、校外学習の一環で知覧特攻平和会館を訪れたことがありました。戦争当時を思わせる展示品の中で、特に衝撃を受けたのは、特攻隊員が遺した遺書や手紙の数々です。国のためにと散っていった特攻隊員たちには、愛する家族や恋人がいました。今の自分と変わらないような年齢の特攻隊員たちが、人生最後になるであろう手紙に愛する人々への思いを綴り、死に向かっていった。それは、あまりに辛く、悲しすぎる事実です。
たちは、これまでの日本史のなかでも最も平和な時代に生きていると言われます。たしかに私自身も、空襲に怯えることなく、自分のために自分の人生を生きることができています。しかし、この平和な日々は、紛れもなく戦禍の中で亡くなられた多くの方々の犠牲の上で築かれたものです。空襲によって命を奪われた方々にも、国のためにと散っていった特攻隊員の方々にも、夢や希望があったでしょう。見たいものも、したいことも、行きたいところもあったでしょう。そしてその全ての願いは、戦争によって失われてしまったのです。
在、日本の人口1億2千万の中で、戦前に生まれた方は人口の15パーセント。戦争を経験した方々の平均年齢が高くなり、当時の話を直接聞く機会は減ってきています。焼け野原から日本を再生し、あの無惨な出来事を二度と繰り返すまいと誓った方々の言葉によって、日本はこの76年間平和を守ってきました。しかし今、とうとう三世代目となる、戦争を経験していない私たちに、日本の舵取りは引き継がれようとしています。私たちには、これからの平和を守る責任があります。平和な時代を生きる私たちだからこそ、戦争があった歴史から目をそらさず、しっかりと向き合って学ばなければなりません。戦争という悲惨な歴史から教えられる教訓を胸に刻み、平和の尊さを後世に伝えていく必要があるのです。そして私たちが正しい舵を取り、次世代へとつなげることで初めて、特攻隊員の方々や、戦争で命を奪われた方々が報われるはずです。
界中では、今もなお紛争やテロによって奪われる命が多くあります。平和な世界を築くためには、私たち一人一人が平和を願う心を大切にし、互いに手を取り合って生きていくことが大切なのではないでしょうか。私は、国を超えて世界中のすべての人々が、幸せに生きられる世界を望みます。
争で亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りし、平和の尊さを忘れずに、引き継がれた舵を取ることをここに誓い、慰霊の言葉といたします。

令和3年8月15日 鹿児島市立鹿児島玉龍中学校 3年 浦村 啓太郎

過去の慰霊のことば

令和2年慰霊のことば(PDF:245KB)

令和元年慰霊のことば(PDF:222KB)

平成30年慰霊のことば(PDF:214KB)

平成29年慰霊のことば(PDF:210KB)

平成28年慰霊のことば(PDF:194KB)

リーフレット

慰霊祭当日に参列者に配布予定であったリーフレットを掲載します。

リーフレットでは、本慰霊祭や慰霊碑の謂れ、児童生徒の平和へのメッセージ等が紹介しています。

PDF版リーフレット(PDF:1,338KB)

    令和3年リーフレット1ページ目     令和3年リーフレット2ページ目

    令和3年リーフレット3ページ目     令和3年リーフレット4ページ目

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