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更新日:2022年12月16日

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新たに指定された文化財

鹿児島市指定文化財の新指定

鹿児島市は、令和4年4月21日、本市下福元町の「清泉寺跡」を市指定記念物(史跡)、本市城山町の「安藤照作西郷隆盛銅像」を市指定有形文化財(彫刻)に指定しました。これによりまして、本市の市指定文化財の総数は90件(史跡23件、彫刻1件)となります。

清泉寺跡1跡「清泉寺跡」(せいせんじあと)

(1)所在地:鹿児島県鹿児島市下福元町

(2)文化財の概要

清泉寺跡は、中世前期に創建され、15世紀前期に川辺寶福寺の末寺として再興されました。それ以降、曹洞宗寺院として明治2年(1869)廃仏毀釈により廃寺になるまで、数多くの石造物が造られ続けており、その後の若干の改変はあるものの、廃寺の時点の様子をかなり良好な状態で残しております。

また、元禄14年(1701)に建立されたとされる島津大和守久章墓の五輪塔は、県下最大規模のものであるとともに、新城島津家との関係を示す遺物も発掘調査で確認されております。

 

2刻「安藤照作西郷隆盛銅像」(あんどうてるさくさいごうたかもりどうぞう)

西郷隆盛銅像(1)所在地:鹿児島県鹿児島市城山町

(2)文化財の概要

安藤照は、明治25年(1892)に鹿児島市で生まれました。鹿児島二中を経て、東京美術学校彫刻科に入学、在学中に帝国美術院展覧会に入選、その後も連続して特選になるなど、目覚ましい活躍をします。

美術学校で師事した朝倉文夫の影響を受け、写実的な表現を身につけるが、やがて塊人社を結成し、彫刻を「量のかたまり」としてとらえ、量感の表現の追及へと進むようになります。

恰幅の良い西郷の体型を、大将の軍服姿で表現した安藤照の「西郷隆盛像」は、体型の似たモデルを用いたとされ、写実的人体表現を基本としながら、鹿児島における西郷隆盛観を象徴的に表現した作品といえます。

6メートル近い像の制作は、相当な大事業であったと推察でき、安藤の力量の限りを尽くした傑作であり、安藤の代表作ともいえます。未来を見据えるかのような正面向きの顔、揺るぎない不動の立ち姿の西郷像は、市井の人々の精神的な拠所として確固たる存在感を示しています。

 

鹿児島県指定文化財の新指定

鹿児島県は、令和4年4月26日、本市清水町の「祇園之洲台場跡(市指定時の名称:祇園之洲砲台跡)」を、県の史跡に指定しました。これによって、本市の県指定文化財の総数は57件(史跡9件)となります。

1化財の名称

史跡「祇園之洲台場跡」(ぎおんのすだいばあと)

2在地

鹿児島県鹿児島市清水町他

3化財の概要

本史跡は、島津家28代当主斉彬が嘉永3(1850)年から安政5(1858)年までに築いた8ヶ所の砲台のうちの一つで、6門の砲が配備されていました。文久3(1863)年の薩英戦争の際に、イギリス艦隊のアームストロング砲の側射を受け、1門のみ残してあとは使用不能になったといわれております。

平成22年に県立埋蔵文化財センターが発掘調査を行い、薩英戦争当時の石垣や砲座・土塁などが広く残存していることが確認されました。薩英戦争は、西欧の進んだ科学技術を積極的に導入する契機となった戦争であり、日本の近代化の過程を知るうえで貴重な史跡であります。

祇園之洲台場

 

国指定史跡「鹿児島島津家墓所(鹿児島市、姶良市、垂水市、指宿市、薩摩郡さつま町)」

化庁は、令和2年3月10日、本市池之上町の「島津宗家墓所(福昌寺跡地内)」を含めまして、県内4市1町に所在する鹿児島藩主島津家歴代の墓所を国の史跡に指定しました。これによりまして、本市の国指定文化財の総数は25件(史跡6件)となります。

1化財の名称

史跡「鹿児島島津家墓所(鹿児島市、姶良市、垂水市、指宿市、薩摩郡さつま町)」

2在地

鹿児島県鹿児島市池之上町1940番、他

3跡の概要

史跡は、鹿児島藩主島津家歴代の墓所、垂水や今和泉などの一門家の墓所、一所持の宮之城島津家の墓所として営まれたものです。国持大名や有力家臣団としての威厳と風格を備えるとともに、一定の規範のもと各墓所の独自性も認められるなど、鹿児島藩における墓制、階層構造を知る上で大変貴重な史跡であります。

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よくある質問

お問い合わせ

教育委員会事務局管理部文化財課

〒892-0816 鹿児島市山下町6-1

電話番号:099-227-1962

ファクス:099-222-8796

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