更新日:2023年4月18日
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鹿児島市は、令和5年4月17日、鹿児島市立美術館所蔵の「新納忠之介作西王母像」「新納忠之介作西王母」を市指定有形文化財(彫刻)に指定しました。これにより、本市の市指定文化財の総数は92件(彫刻3件)となります。
(1)制作年:昭和17年(1942)
(2)所在地:鹿児島市立美術館
(3)文化財の概要
作者の新納忠之介は、明治元年(1868)に鹿児島市新照院町で生まれ、東京美術学校(現:東京藝術大学)を卒業後、同校の助教授となりました。師の岡倉天心とともに東京美術学校を追われた後は、奈良の日本美術院(現:美術院国宝修理所)で国宝調査や修復事業に努めました。明治29年から昭和21年までの48年間、修理した仏像や神像は2,631点に上ります。
本作品は、新納忠之介の貴重なオリジナル作品の一つです。左足をやや前方に出して立ち、緩やかに体躯を回転させる流麗なムーブメントを持つ構成は、彫刻家・新納としての挑戦的な姿勢が感じられます。極彩色に着色された衣装の表現は、細部に至るまで丁寧に仕上げられ、究極のリアリズムを追求しつつ、神格化された女神のたおやかさと品格が備わった作品に仕上がっています。
(1)制作年:昭和25年(1950)
(2)所在地:鹿児島市立美術館
(3)文化財の概要
修復家として活躍した新納忠之介の貴重な晩年のオリジナル作品で、永年の仏像修復の経験から得た、木彫や彩色技術が見事に結実した格調高い作品です。
シンメトリーの立ち姿で表現され、女神らしいふくよかさと威厳が感じられます。持物の桃(右手)と青鳥の羽(左手)は、吉祥の到来を予感させるように、正面性を生かした存在感を見せており、像本体と絶妙な調和をなしています。「修復師・新納」が「彫刻家・新納」としての力量をも裏付けた傑作といえます。
文化庁は令和5年3月20日、本市城山町の国指定史跡「城山」および県指定史跡「鶴丸城跡」の範囲を拡大し、「鹿児島城跡」として国の史跡に指定しました。
1文化財の名称
国史跡「鹿児島城跡」
2所在地
鹿児島県鹿児島市城山町、照国町
3史跡の概要
鹿児島城は山城部分の上山城と、麓にある居館を組み合わせた、中世以来の伝統的な構造を用いています。鎌倉末期に上山氏の本城として上山城が築かれた後、南北朝期に島津氏領となり、藩政期には近世島津氏の拠点となりました。明治期には西南戦争の激戦地となるなど、鹿児島の城の歩みに独特な軌跡を残した史跡です。
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